最近の女性、特に子どもを産んだことのない女性がよく言う言葉。
「外国人の赤ちゃんって、なんであんなに可愛いんだろうねぇ~♪」
私が思うに、外国人だろうが日本人だろうが赤ちゃんはみんなかわいい。自分の子供であろうとなかろうと。
ではなぜ、赤ちゃんはかわいいと思えるのか?
答えは簡単。自分(大人)にないものを持っているから。
自分が失ってしまったものを、すべて持っているから。
純粋で、透き通っていて、汚れていなくて、善で。。。などなど。
子供が成長していく上で、失っていくものは多い。そして、悲しいかな、善くないものまでどんどん積み重なっていくこともある。学習能力とでもいうのだろうか。
嫉妬、妬み、他人を蹴落としてのし上がる、他人のせいにする。。。
人間は生まれながらにして善であるのに、自分から悪を学習していく。
それは、だれの責任でもなく、人間の本能なのだろうか?
世間では、「子は親の背中をみて育つ」とか「友達が良くない」とか「先生の責任」とかみんなで、責任のなすりつけ合いをする。
それって、ちょっとおかしくないですか?
子供は、ちゃんと自分で自分の親を選んで生まれてきていると私は思う。別に、宗教に興味はないが。
だから、子供が本来自分の親を信頼してきて生まれてきているのだから、やはりどういう風に子供が成長していくのか、見守る責任があるのは親自身。
周りの環境だろうが、小学校にはいろうが、中学にはいろうが、成人するまで見守ってやるのは、親以外の何者でもない。
そこまで子供のことが心配なら、それなりの手段なり、行動にでるべき。学校の先生が信用できないのであれば、親の考えで行動を起こすべき。
別に、家に閉じ込めておくわけではない。
間違った考え方を、子供に押しつけなければそれでいいのだと思う。
信頼とは、お互い信頼し合うことで成り立つもの。
信頼できないというのは、最初からその人に対してなんらかの根拠があって信頼できないという気持ちが生まれるもの。
自分が産んだ子供を信頼するのも、信頼できないのも親次第。
ただ、自分の過去をちょっと振り向いてみるだけ。
自分は、子供に対して胸を張れる生き方をしてきたかどうか。
そして、自分を大人になるまで見守ってきてくれた自分の親に対して感謝しているかどうか。
本当に昔の人はすごい。
「子供は親の背中をみて育つ」
まさしく、その通りなのではないだろうか。
赤ちゃんは、すべてお見通し。
人はやはり、自分にないものを求めるものなのだ。
だから、赤ちゃんはかわいいのだ。
ベビーカーのマナーと言われても、今一ピンとこない。
そもそも、ベビーカーはベビーを安全かつ親が楽にベビーをいろいろな所へ、一緒に連れて行けるものと私は考えている。
ベビーカーの販売業者は、電車に乗る際はベビーカーを折りたたむようにとお願いしている様だが、実際にはそんな簡単なことなのだろうか?
子供もだんだん成長してきて、抱っこひもでは疲れるような大きさになったとき、そしてミルクやおやつやお茶を持って歩かないといけなくなったとき、やっぱり頼るべきはベビーカー。
しかも、子供も荷物も重くなった状態でベビーカーに乗せ、電車に乗る時はベビーカーをたたむ。そんな無理な話など、最初からおかしい。
子どもと荷物を一緒に持てないから、ベビーカーを使っているのだ。
こういう時こその、横矢所長のおっしゃった「ハートが大事」ではないのだろうか?
ベビーカーが迷惑?それは満員時には仕方のないこと。
よろけた人がベビーカーに倒れかかる?
そこにベビーカーではなく、ゴミ箱や荷物があったら??
そういう風に考え出すと、切りがない。
結局は、母親はベビーカーに乗せているベビーが心配。
駅員さんは、ベビーカーが挟まれたり、誰かがベビーに倒れかかるのもベビーが心配。
迷惑と思っている人は、まあ、ベビーだからしょうがないよねという気持ち。
それぞれが、「ハート」を持っていれば、自ずと解決出来ることなのではないだろうか?
そして、万が一のことがあったとき、ベビーが無事でよかったねと声をかけるくらいの余裕が、人それぞれにあるとすごくありがたい社会になるのではないだろうか。
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最近、ダウンタウンの松ちゃんの発言をいろいろと批評されているようだけど・・・
私が思うに、松ちゃんの発言は間違っていないと思う。
「そんなアホが死んだら俺は別にええねんけど」
これは私の解釈だけれども、松ちゃんが言うところの「アホ」というのは、硫化水素で自殺すると自分が死ぬだけでなく、周りの人を巻き込んでしまう可能性があるということを分かっていない人のことだと思う。
だから、単に自殺をする人のことをバカにした言い方ではなく、他人の迷惑を顧みず自らの命を絶つことだけしか考えていない人のことを松ちゃん語で「アホ」と言ったのだと思う。
その後の、「俺は別にええねんけど」は、俺は所詮その自殺をした人とは他人やからええけど、残された家族や硫化水素で巻き込まれた人はどないすんねん、その人たちの心や体のケアはどうしてやるねん、誰がするねん、という思いからでた言葉ではないかと思う。
実際、松ちゃんが自殺を考えたことのある人かどうかは分らないけれど、多分命の尊さは分かっていると思う。
ただ、自殺を考える人の気持ちはとても複雑だと思う。
自分自身いろいろなことを考え、精神的にも肉体的にもずたずたになりながら、最終的に自ら命を絶とうと思うもの。
でも、自殺未遂で終わる人や自殺してしまう人、さまざまいるが、何度やっても未遂で終わる人は、そこでまだ死んではいけない人。
自殺で死んでしまう人は・・・・多分それがその人の寿命あるいは運命だったのかもしれない。(これは私の憶測の域でしかないが)
でもやっぱり、命は大切な物。自分だけが苦しいわけではない、思い残すことやり残したことはいっぱいあるはず、とまず考えて欲しい。
年齢に関係なく、みんないろいろな悩みを持っている。それを、自分自身で解決しようとするのか、友達や親や信頼のおける人に相談してみるのか、それは自分次第。
とにかく、何の根拠もない確証もないけれど、自分自身への自信と、こういう私が好きという思いを持ち続けていけたなら、自殺というものは少しでも減っていくのではないだろうか。
松ちゃんも、罪な発言をされたものだ。
でも最も重要な発言だったと私は思う。
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